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友達になりたくないと思われる人の特徴

友達になりたくないと思われる人の特徴
三者三様、十人十色、百人百様。細かいニュアンスの違いがありますが、要は、人それぞれ考え方や身の振り方が違うことを言っています。今は、コミュニケーション手段が発達しているので、万人万考的な言葉のほうが相応しいかも知れません。 ところで、あなたが友達になりたくないと思われる人は、どんな人かと尋ねられたらどう答えますか。身勝手なやつとか、時間にルーズとか、すぐ切れる、いい訳をする、空気を読めない、約束を守らない、自己中心のやつ、とか結構独りよがりの人を挙げるのではないでしょうか。 それでは、友達になりたくないと思われる人には、どんな特徴があるのでしょうか、一緒に考えてみましょう。

アナログ時代もデジタル時代も、変わらない視点

友情とか、友達関係の問題は今に始まったことではなく、おそらく、人間がこの世に誕生して以来、形態の変化はあっても、変わることがないテーマと言えます。特に青春時代、学校や職場でヴィヴィッドな感覚で受け取っていたのではありませんか。

そんな昔を振り返る、いわゆるアナログの時代。その頃だって、友達になりたくないと思われる人はいました。その判断は、好き・嫌い。損・得。善・悪。それこそ今でいうデジタル的な視点で見ていたのです。

翻って、現代のデジタルの時代、友達になりたくないと思われる人の判断は、アナログ時代とかわることなく、好き・嫌い。損・得。善・悪。視点は全く変わっていません。

そういう中で、最終的な判断のベースはどんな時代を迎えても、私たちは、何ら変わることがない視点を物差しにしていると言ってもいいでしょう。

最終的な判断は損・得に集約されます

相手を見て、友達になりたくないと判断するベースはどこにあるのでしょうか。何も考えずに感情の支配が赴くままに、判断しているわけではありません。そこには人間特有の潜りこんだ視点があります。

先述した、好き・嫌い。損・得。善・悪。これらの中で最終的に判断のもとになるのは、損・得の視点からの発想と考えられます。

損・得は、好き・嫌い、善・悪を意味的にではなく、情緒的に包含しています。損・得の視点は大脳新皮質全体からくる、それこそ、理解、記憶、思考、その他すべての意識活動がもたらすもので、これは簡単にどうにかなるものではありません。

しかしながら、そういうものを持ったものが人間なので、敢えて、否定するには及びませんが、その損・得の中にも理解しえないものがあります。

第一印象がもたらすイメージ

何といってもスタートは第一印象です。これはインパクトがありますね。

例えば、「話の仕方が要領を得ない」「ファッションのセンスがイマイチ」「高飛車で、何様だとおもっているのか」。

私たちは、初めて会った人に対して、知らず知らずのうちに品定めをして、自分なりに第一印象として受け取り、そして、「頭が悪いのではないか」「美観を疑うね」「失礼なやつだ」と決めつけます。

こうなると、思い込んだ第一印象はなかなか変わらないのが普通で、2、3度会ううちに、違う印象を持たせない限り、変化することはありません。

「ああ、自分の思いすごしだったのだ」と気が付くのには、結構時間を要します。

大体からして、人が相手に対して印象を抱くのは、客観的な見方や理性的な判断でするのではなく、どちらかというと外見や物腰、仕草など、外部から見た特徴を第一義にして、自分流の固定観念や先入観で見ている場合が多いものです。

人に与える好印象から、友達になりたくない特徴を探る

他人に好印象を与える特徴として、①信頼できる ②思いやりがある ③謙虚である ④有能である、の4つあるそうです。ということは、これの逆のことを挙げれば、好印象を与えないことになるわけで、①信頼できない 思いやりがない ③謙虚でない ④有能でない、ということになります。

どうですか、日常的にそこまで考えて行動・行為をしている人は少ないと思いますが、意外や意外、ご自分が見る人の立場に立ったら、そういう見方をしているかもしれません。

信頼できない

それでは、信頼できないということから、何を思い浮かべるでしょうか。すぐに頭に浮かぶのは正直ではない、ということです。遊びでも仕事でもそうなのですが、人間は他人に対して正直になって欲しいと思うものなのです。ところが、そうでないことを知ると、それは信頼問題に直結します。

それから、信頼の背景には頼りになるかどうかの問題もあります。特に、仕事上においてはできると言いながら、努力をせずに結局はできなかった場合、自分に対して正直でないがゆえに、このようなことが起きる可能性があります。

このようなことが続けば、頼りにならないし、正直であることを疑い。その後の言動に対しても疑心暗鬼になるのは必定です。

思いやりがない

思いやりは他者への関心の深度を計るものです。関心があれば、どのように対応したらいいのか、自から回答が出てくるはずです。ところが、思いやりのない人はその回答を、極端の場合は、相手を攻撃することで、自分の満足感を満たそうとします。

思いやりのエッセンスを挙げてみると、まずは愛です。次いで、やさしさ溢れる親切心。余裕と気さくさ。興味・関心、注目などがあります。

ここで重要なのは"余裕と気さくさ"です。

気さくさの原点は、笑いの絶えない場を盛り上げるエンターティナーとして、会話の中心にいる人が率先して雰囲気づくりをすることにあります。まずは親切ですし、噂を広めるようなこともしないし、皮肉を言うようなこともしない。

思いやりのない人は、親切ではない、皮肉を言う、噂を広めるなど、その逆を行くわけで、友達になりたくないと思うのは、普通の感覚であれば当然のことでしょう。

フランクリン・ルーズベルトの奥さんであるエレノア・ルーズベルトは、「自分自身を扱う際には頭を用いなさい。ただし、他人を扱う際には心を用いなさい」と言っています。

謙虚さがない

謙虚さがないということは、傲慢、自慢、プライド、うぬぼれ、虚栄が表に立つことを言います。常に、自己犠牲はしないし、チームプレイに徹することもない、自己中心で、すべてにおいて利己的なのです。

これまでの経験からして例外ももちろんありますが、謙虚な人は概して利己的ではありませんが、謙虚でない人は傲慢で、ほとんどの人が利己的です。

しかしながら、謙虚さにもバランスが大事で、すべてを相手にささげるのではなく、自分の主張と相手の気持ちを考えたうえでのパフォーマンスがなければいけません。

有能ではない

有能とはどういうことなのだろうか。思いつくままに連想してみると、最初に浮かぶのは「知性」、それから言葉をそのまま解釈して「能力」、さらに、為すことに「自信」を持っていること、もう一つ付け加えるとすれば、マスコミでも結構採り上げられている「プロ意識」などが挙げられます。

ですが、「知性」は頭の良さではなくて、常識があるかどうかと、知識、言葉遣い、判断力、決断力が問題になります。

誰もが羨むような才能があるにもかかわらず、今示した常識に欠ける人は結構いるもので、細部に拘りすぎて、判断力や決断力を発揮できないことが多いのです。

これまで、日常の行動・行為の中に友達となりたくない背景を述べてきましたが、具体的にはどんな態度の取り方がそうしているのかを見て行きましょう。

友達になりたくないと思われる人がとる態度

人間って面白いもので、褒め言葉よりも傷つくような言葉のほうを覚えているもので、刃物での傷は薬を付ければ治り、そのあと問題は起こりえないが、言葉による傷はいつまでも残ります。友達になりたくない人は、往々にして不用意、無神経な言葉を平気で使うものです。

そこで、友達になりたくないと思われる人には、どんな特徴があるのかを挙げてみることにいたします。

清潔でない。品のない態度

第一印象が大事なことはすでに述べましたが、その第一のポイントが清潔さです。普段の生活の実態が如実に現れるため、印象がストレートに反映されます。

細かいことかも知れませんが、伸びた爪、ゲップ、おなら、唾を吐くなど人前を気にしない態度は、身近にいる人にとっては不愉快なことになります。相手の気持ちを思いやるセンス、態度が求められます。

無神経な行為・態度

私たちは感情が優位に立った時など、相手はほんのささいなことでと思っているかもしれませんが、実は傷ついたり、腹を立てたり、軽蔑したり、恥ずかしくなったり、侮辱されたと思ったり、いろいろな反応を見せます。これは、誰にでも起こりうることです。

このような無神経な発言をする人が意外と多いのです。何気ない一言でも、当の本人の傷口は結構深いものがあります。

*噂話に興じる人は、いつだって、自分に利益のない人と見ると、誰彼見境なく噂話を蔓延させる。こういう人にかかわれば、相手をしているあなたも噂話が好きだと思われますよ。

*皮肉を言うひとは一見ユーモアがあるように見えますが、実は違っていて、苦々しく思ったり、敵意を持っていたり、やきもちを焼いていたり、あることないことに対して、嫌味っぽいことを並べます。

こういう人も友達になりたくないと思われる人の範疇に入りますね。

*皮肉と同じように冗談にも人を揶揄するようなものがあります。相手に悪気がないとしても、言われたほうは感情的に、傷つく場合があります。

こういう人も友達になりたくないと思われる人の範疇に入りますね。

*公衆の面前で恥をかかせる輩も、友達になりたくないと思われる人の仲間で、後でこっそりと個人的に言えばいいものを、これ見よがしに大勢の前で平然と話題にする人間がいます。

* どんなに親しくなっても、触れられたくない、あるいは歓迎しない話題というものがあるものです。それを好奇心や判断違いから立ち入る人がいます。場を心得ないと無神経な発言になり不愉快な思いをします。

こういう人も友達になりたくないと思われる人の範疇に入りますね。

攻撃的な態度

人間は教えられたり、指導されたりすることに対しては、そんなに抵抗感は持ちませんが、押し付けられたりするのには構えます。特に、話の途中に割り込んだり、遮ったり、相手を黙らせたり、あるいは、声を張り上げたり、威圧するような態度を取ったりする場合、嫌な印象を持ちます。

* 物知り博士ならいざ知らず、自分はお前さんたちより頭もいいし、なんでも知っているという態度を露骨に見せる人がいますが、嫌味な人ですよね。それも説教口調で押し付けるように言われたら、カチンときませんか。ですが、こういうタイプの人、結構多いのです。友達になりたくない人の特徴の一つです。

友達になりたくないと思われる人ってどんな人。

今まで述べてきたことをまとめると、友達になりたくないと思われる人の特徴が浮き彫りになってきました。

実際には、どのような人間が友達になりたくないと言われているのか例を挙げてみます。

* そんな大した問題でもないのに、自分の価値観や思い込みを強引に押し付けてくるやつ。

* 拷問するように問い詰めるやつ。

* 他人の気持ちが読めない上に、自分の要求を求めてくるやつ。

* 感謝する心がないやつ。

* その場の話題じゃないのに、平然と話を続ける空気の読めないやつ。

* 自分の話は嬉しそうにするのに、人の話には上の空で、聞こうともしないやつ。

* 相手に対して嫌なことをするのに、自分が受ける立場になると敵意を向けるやつ。

* 自慢話を何回も繰り返すやつ。

* 公私の区別がつかないやつ。

* 向上心のないやつ。

* 他人の話を聞けないやつ。

* 意見が違うからと言って、露骨に嫌味な態度を見せるやつ。

ここまで、友達になりたくないと思われる人の特徴を挙げてきましたが、この世の中、友がいなければ人生を無意味に過ごすことになります。

友達になりたいと思われる人の特徴は、友達になりたくないと思われる人の特徴の逆をいけばいいわけで、あなたの心がけひとつで、それができます。

最後に、『人を動かす』の著者である、デール・カーネギーの名言を添えておきます。

目つき、口ぶり、身ぶるなどでも、相手の間違いを指摘することができるが、これは、あからさまに相手を罵倒するのと何ら変わりない。そもそも、相手の間違いを何のために指摘するのだ―相手の同意を得るために?とんでもない!相手は自分の知能、判断、誇り、自尊心に平手打ちを食わされているのだ。当然、打ち返してくるだろう。考えを変えようなどと思うわけがない。どれだけプラトンやカントの論理を説いて聞かせても、相手の意見は変わらない―傷つけられたのは、論理でなく、感情なのだから。