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農業の工業化への加上

農業の工業化への加上
TPP問題が話題になる以前から、日本の農業は問題視されてきました。食料自給率の低下。就業人口の高齢化、若者の離農など農業人口の縮小。耕作放棄地の拡大などが、今後の日本農業に暗雲をもたらしています。 そこで、農業の『加上』を考えてみましょう。日本の農業人口は全人口の3%未満で260万人、その平均年齢はなんと66歳を超え、35歳未満はわずか5%しかいない。これが現状なのです。 この背景には、日本農業の競争力のなさと、将来への希望のなさが原因になっていると考えられます。自由化されればひとたまりもなく、外国品に取って代わられ、常に将来に対する危機感が付きまとうが故に、若者の就業への道を閉ざすことになっていました。そして従来から、生産量に応じて補助金を出すという、日本農業の基本政策が長年続いたが、結局は、農業を強くすることには繋がらなかったわけです。

『加上発想論』の後押しをするのは脱保護

ここでは、技術的な『加上』の歴史を辿るのではなくて、これからの日本農業を強くするためには、どう『加上』をすればいいのか、その点についてみていくことにします。

不幸な出来事だった東日本大震災は、原子力発電そのもの問題、エネルギーの多様化、そして防災など、多くの課題を突きつきつけました。その中に、TPP問題のタイミングにあわせて、農業問題が脚光を浴びるようになったのです。

食料の大源は農業や漁業です。どんな時にでも、安定的に国民に提供される食料を作っている第1次産業が、衰退産業ではあってはならないことです。

ここで、遠野物語で有名な柳田国男が農政論を展開していることに注目したいと思います。

柳田国男の警鐘

彼は、百年前に、「旧国の農業のとうてい土地広き新国のそれと競争するに堪えずといふことは吾人がひさしく耳にするところなり。(中略)然れども、之に対しては関税保護の外(中略)の策なきかの如く考ふるは誤りなり。(中略)吾人は所謂農事の改良を以て最急の国是と為せる現今の世論に対しては、極力雷同不和せんと欲するものなり。(中略)今の農政家の説はあまりに折衷的なり、農民が輸入貨物の廉価なるが為め難儀するを見れば、保護関税論をするまでの勇気はあれども、保護をすればその間には競争に堪えふるだけの力を養い得るかと言へば、恐らくは之を保障するの確信はなかるべし」

と言っています。これは、まさに関税保護の弊害を指摘していて、そうした場合、競争に耐えるだけに力を養うことができるかといえば、必ずしもそうなるとは思えないと、今、問題になっている関税そのものに対して、大いに疑問を持っているのである。

『加上発想論』があっただろうか

『加上』を考えた場合、柳田国男の言っていることに対して、この百年間、一体全体、『加上』の『加』も感じられないのは。どういうことなのだろうか。その意味では、TPP問題がこの時点で登場したのは、次なる『加上』を期待してのことであると考えざるを得ません。

つまり、農業政策に変革を求める事態が生じたということになる。それは、関税がゼロになると、農家は外国品の攻勢を受けて、農家経営が成り立たないという図式を描いているが、本当にそういうことになるのだろうか。

それよりも、日本農業の競争力の減退が、どのような環境下でそうなったのかを真摯に反省し、それから脱却する手立てとして、何をしなければならないのか、そして、負のスパイラルを超える『加上発想論』の実践を通じて、戦略的・戦術的な方法、システム、そして、農家の皆さんのやる気を糾合させる政策と実践の方策を打ち出すときに来ています。

中国や韓国、それに、最近急成長をしている東アジア、東南アジア、中東地域でもそうなのだが、健康意識の高まりと、安全性、おいしさへの追及が、価格の支配を逸脱して、高価格のものでも購入する中間層が増えている。

日本への観光客が日本の食に触れ、安全性などを身近に感じると、食に対する意識が変わり、自分の国に帰っても、それを日常の中にそれ採り入れるチャンスは拡大している。日本の農業製品は、国内消費に捉われるのではなく、外に向かって出て行くビジネスチャンスが広がっています。

そのためには、TPPを契機にして、従来の零細型農業、兼業農業から脱し、通年型の収入が保証される農業へと変換する必要があります。

『加上発想論』を行うのは、破壊ダー

既存の権威と制度を打ち破る、破壊ダーが登場し、仮にTPP交渉が妥結しても、実際に関税が下がるまでには5年以上の日時がかかります。ものによってはそれ以上の時間があるわけで、その間に、米であるなら減反政策で失った、単位面積あたりの収穫量の増大、高価格を維持してきたことによる、コストダウン意識を払拭し、国産米の価格競争力を上げることで、国際競争力もつき、輸出製品としてのポジションを作り上げることが可能になりどうです。

後継者問題も、農業が一般の産業と同じように収益が上がり、働き甲斐を感じられれば、就業する若い人たちも増えてくる。従事する人たちの犠牲の上に成り立っているようなイメージがある限り、後継者の出現を期待することは難しい。だからこそ、『加上』が必要なのである。まずは新しい需要の創出である。6次産業への取り組みが、それで、生産から製品化、流通まで一貫した取り組みが、企業化への道につながり、犠牲の上に成り立った状況から、完全に逸脱できることで、若者の参入、地域活性化の起爆剤、そして、地域社会全体の一体感が生まれ、過疎化への断絶の役割を果たすようにします。

『加上発想論』は制度を超える

次に制度が問題になる。農地法です。そもそも農地法の基本理念は「自作農」主義です。これは、耕作者に所有権を与えた農地改革が実現した「所有、経営、耕作」を適当としたため、法律の目的や原則から、株式会社のような所有形態は認められず、農業を志した農業者の参入を阻むことになっています。

2009年に法改正され、「自作農」主義を規定していた条文は削除されたが、農業に参入しようとする場合、たとえば、農地所有も可能な農業生産法人である、株式会社を作って参入する時、出資者が農作業に従事したり、作った作物を販売したりするなどの行為がないと、認められないことになっている。それだけでなく、株式譲渡制限を受け、農業者や農業関係者が出資額の4分の3以上の所有を条件付けられている。

これから察するに、農業に魅力を感じ、全人生を農業にかけようとしている人たちが、実際に農業をしたくても、農地の取得ができないという障壁は、農業は参入リスクが高い産業といえるかもしれません。

基本的な考え方として、今回の東京電力の原発事故の後処理に見られるように、オイルの値上げ、自然エネルギーの導入の価格転嫁は、すべて生活者の負担となっています。こんな理不尽なことが許される政策なんておかしいと思うのですが、関税問題にも同じようなことが見られ、外国品にかけられている関税がなければ、低価格のものが手に入るのに、国内品を守るための制度があるために、その分の負担を国民に強要されているのです。

『加上発想論』はウイン・ウイン

これまでの農業の姿を超えるアプローチが必要とされ、特に市場を意識した改革が望まれるわけで、生産者に、若年層で農業に興味を持ち、彼らの参入がし易いような環境を整備することが重要です。

それと保護政策からの脱却にも神経を配らなければならない。農業従事者を守ってきた米価という補助金に頼らないシステム作り、つまり、零細農家、あるいは兼業農家を集合化させて、大規模化することによって、コストの削減、集約化された労働力、地代の負担など、ウイン・ウイン関係の構築を目指す必要があります。

3年後には米の減反調整、いわゆる(減反)が廃止されようになると、当然のことだが、農協の改革も進める必要があります。この裏側には、農家のための農協になっていないことがあげられます。

『加上発想論』は農協こそが採りいれるべき

ここ数年のうちに、地域農協が上部団体である全農や経済連を通して、卸業者や量販店、小売店に米を流通させていたのだが、中間の全農や経済連を省いて、直接、卸業者や小売店、生活者に流通させる事態が起きています。

つまり、全農や経済連を通さないと米流通ができないと思われていたが、商社や卸会社から直接購入したいとの申し出が相次ぎ、ブランド米の流通機構ができている。これによって、農家の収入はアップし、農協の上部団体離れが起きています。

「農協は農家や農業の行く末に役立っているのか」という疑問や問題意識が、農協改革の論議を呼び起こし、結果的には農協法の改正に結びつきました。

安倍総理も、農協改革を前面に押し出し、旧態依然とした農協に活を入れようとしていました。そして、農業の工業化である。これは、農業の産業化への一理塚でIT技術の活用、植物工場の設置、さらに、輸出への事業展開の拡充など、防御から攻勢に転じる契機とすることで、システム的運用が可能になるのです。

その上に、働く人たちに生産工場で働く感覚で、農業活動に従事できるメリットもある。交代制で週休二日制を取ることもできるし、これまでのような犠牲を払うことがなくなります。 

『加上発想論』は、チェンジのチャンスを創り出しています

日本農業が、従来のような農業政策の上に立って、食料自給率の低下。就業人口の高齢化、若者の離農など農業人口の縮小。耕作放棄地の拡大などを続けることになれば、それは、破滅への道を歩むことになるのです。

米だけでなく、すでに輸出事業が進んでいる野菜などが、相まって軌道に乗るようになると、国内での雇用状況が改善し、新しい農業スタイルが誕生することになる。他方で、牛肉は全世界的に和牛が浸透していて、特にオーストラリアやアメリカ産の和牛は、価格的にも日本産に比べると低価格で、アジアやヨーロッパにかなりのスピードで浸透しています。

これには理由があって、和牛そのものや、和牛の精子がアメリカに輸出され、それがオーストラリアにも運ばれ、地元種のメスと交配し、アメリカ産和牛、オーストラリア産和牛としてのポジションを確立し世界的に流通している現状があります。

『加上発想論』の引き金を引くのはTPP

これに対して、日本の畜産業界も黙ってみているわけではなく、日本ブランドとしての和牛、そして、各地特産のブランドをつけて、世界に打って出ようとしている。

これもTPPが引き金を引いているのである。内に引きこもったまま、補助金という麻薬を処方されている限り、飛躍もなければ、新しい価値を生み出すことはできません。

つまり『加上』することが適わないのです。

こうしてみると、TPP参加は、日本農業が『加上』することで、新生日本農業を謳うことができるかどうかの瀬戸際に立つことになります。実際に、TPP交渉が事実上妥結し、それによる関税をなくす品目は、9000を超える中で、最終的には95%に達します。

農林水産分野では80%を超える品目がその対象になっています。こうなると、またもや農業団体が補助金獲得運動を始め、農林水産分野の族議員を嗾け、金額ありきの構図が浮かび上がってくのは見え見えです。

従来通りの補助金文獲り作戦を展開するようでは、農業が強くなれるのか疑問を感じざるを得ません。ここでは、飽くまでもTPPを日本農業の発展の機会と捉え、今こそ、『加上発想論』を仕掛けて、旧態依然とした農業からの脱出の道を開かなければなりません。

食料には安全、安心が求められる一方で、価格の安さも求められます。TPPは、まさにその両方の解決を求めているのです。グローバルな時代、物と情報が国境を越えて行き交う時代だからこそ、日本農業にもこれまでにはないチャンスもあるし、それを実現するのは『加上』の精神を思い起こして欲しいと思います。

『加上発想論』は政、官、農、商一体で!

ある一つの思想なり学説が主張提起される場合、それは必ず先行する既存の思想や学説を前提としている。つまり、その上を出て前説を乗り越え、いまだ存しなかった要素をその上に加えて新説を展開する。新説の成立は、前説の特異な粋とすべき点を取り出す「揀異」や、その劣った点を反駁し拒ける「貶異」などによって、前説に『加上』してみずから張るところに生起する。しかもその新説はまた、後続するさらに新しい立場から受けとめられ『加上』される結果、「一層層『加上』する者の説」が展開して来ることになる。こうして果てしなく『加上』が継起してやまないところに、思想学説の発達があり、歴史的な歩みがある。

新しい農業は、古い農業の特異な粋とすべき点を取り出す「揀異」や、その劣った点を反駁し拒ける「貶異」などによって、古い農業に『加上』して自ら張るところに生起する。

このことを、政、官、農、商が肝に銘じて、『加上発想論』を実践することになれば、農業の世界も変わってくるに違いありません。