文明の進歩と言うからには、比較対照とするものが必要である
例えば、狩猟を主とした時代は、動物を獲るために移動を余儀なくされたが、その上を出た農耕を主とした時代は、土地に定住し住居を建て、種を蒔いて作物を収穫する、いわゆる農耕文化の導入、浸透、定着について、自然の力―大地、水、そして太陽―を必要とし、衣食住の条件にあったのが大河の周辺で、その肥沃な大地の恩恵を受けていた。
ナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、そして黄河。この四つの大河に文明が誕生したのは必然的なことだった。
人類は自然の恩恵を受けて文明を開花し、やがて、コミュニケーションツールとして言葉、文字を生み出し、青銅器を初めとする金属器の開発から始まる科学技術の進化は、都市間、国家間、民族間、宗教間の戦争を機に、材料と機能競争の『加上』による武器開発に繋がっている。つまり、戦争を後押ししたのはまさしく科学技術だった。
このように栄えた文明が環境破壊や異民族の侵入、エネルギー危機によって衰退し滅亡しても、そこに誕生した科学知識や技術は周辺地域に受け継がれ、それらを『加上』した新たな文明を生み出すことになった。
中東地域で誕生した文明は、その後、ギリシャ、ローマ文明に『加上』され、さらに西洋文明へと『加上』されることになった。
文明の進化は、想像力や創造力をもって『加上』を繰り返すことになる
つまり、前時代のインフラをベースにして、その上を出ること、上に加えること、『加上』することで新しい時代を創ってきた。
人類の社会文化的な進化に大きな影響を与えたのは言うまでもなく宗教である。特にユダヤ教、キリスト教が文明に与えた影響は極めて大きい。
キリスト教誕生から中世まで、キリスト教は科学的な発展を妨害する方向に動いていたが、一部の目覚めた知識人の好奇心まで押さえ込む事はできなかった。
西欧において様々な科学技術上の発見が成されたのは、ユダヤ教やキリスト教による影響の他に、ギリシャ文明の合理的精神を受け継ぐ土壌があったからだ。
ヨーロッパ社会における知的リーダーは、この世に起こる現象の中に、神の意志を発見しようとしていたのである。
それが学問や科学技術上の多くの発見を見ることになり、科学に加えて、工業技術の『加上』を推進した。
狩猟、農耕の時代に次いで、火の利用がエネルギー源の開発に繋がり、工業化への道を歩むことになる。
石炭の利用が鉄器の開発を生み、エネルギーとしての蒸気機関が発明されると、海上では蒸気船、陸上では蒸気機関車が動き出す。
すると、従来の陸上交通路に加えて、海上交通路も帆船から蒸気船へと変わることで、人や物、情報の移動が、質的にも量的にも拡大すること繋がった。やがて、それは産業革命に繋がり、文明は飛躍的に発展することになった。
産業革命は、従来の農業中心社会を一変し、地域経済からの脱却が進むことになった
例えば、それまでの輸送は、旧態依然とした、馬車、ラクダによる隊商、そして海上の帆船だったのが、文明の利器を使った輸送手段に取って代わることで、資源、土地、労働力、エネルギーなどの利用が一段と進むことになり、近代化の道を歩むことになった。
この近代化は工業化と同一で、資源や労働力、エネルギーを求めて、市場開拓に乗り出すことになる。海洋国家のイギリスやスペインなどの国の、帝国主義的な資源争奪、市場争奪へ続いて行くのである。
十九世紀は産業革命の大元、イギリスの石炭文明の時代で、そのイギリスを世界の工場とし、武器と各種製造技術を洗練・発展させ、それを背景に植民地の争奪に参加、いわゆるパックス・ブリタニカと呼ばれる時代を築くことになった。産業革命には、蒸気機関だけでなく、もう一つの推進力があった。それは、綿織業関係の機械である。
それまでの毛織物に加えて、綿織物が人気を博し、機械化しやすいこともあって、織機の技術開発が進んで、蒸気機関と並ぶ産業革命の旗印になった。
実際に、手動の織機が水力の織機の『加上』され、さらに、蒸気で動く力織機に『加上』されている。 それから一世紀を経た、二十世紀はアメリカの石油文明の時代で、あらゆる場面で化石燃料がエネルギーと工業化製品のリード役を担ってきた。内燃機関の発明が自動車の発明に加上され、それらの波及効果が次々と『加上』を繰り返すことで、新たな産業を生み出すという好循環に繋がり、短期間のうちに、科学技術力と工業生産力でイギリスを追い抜き、圧倒的な経済力を背景に、パックス・アメリカーナと言われる時代を作り上げた。
因みに、世界各国の産業革命の開始は、アメリカの経済学者ロストウによると、
イギリス(1785年)、フランス(1830年)、アメリカ(1845年)、ドイツ(1850年)、スウェーデン(1870年)、日本(1880年)、ロシア、カナダ(1890年)と続いており、オーストラリア、トルコ、メキシコ、中国、インドは第二次大戦後となっている。
これから見えるのは、日本はイギリスから百年遅れているが、20世紀後半から21世紀にかけては、先人の努力のおかげで、世界に伍する科学・技術立国としてのポジションを得ている。
話題の化石燃料はエネルギーだけでなく、工業化の世界で『加上』を積み上げ、人間の生活必需品の原材料としても利用され、高分子化学を応用した製品は天然繊維に代わって、服飾品、建材・機械部品、日用品の素材として使われ、現在に至っている。
他方で、20世紀の後半から21世紀に入り、化石燃料の次世代のエネルギー源として、有限と言われている石油に代わって、アメリカで生産されているシェールガスや、日本周辺にも埋蔵量が確認されているメタンハイドレートなどがあげられ、新エネルギー源として脚光を浴びるようになっている。すでに、シェールガスは商業化されており、わが国も輸入することになっている。これに加えて、木材バイオマスや自然エネルギーである、太陽光や風力、波力、地熱、潮力、それに水力発電が見直されているが、本格的な利用は、まだまだ先のことである。
このように、文明の進化は、「上を出る」、「上に加える」、という前文明をベースにして、『加上』することで成り立っている。となれば、『加上』の醍醐味を知った上で、自分の周辺の状況を認識して、次なる手をどう打てばいいのかを、考えることが必要になる
ずれにしても、人間が生きていく中で、人間の知識、智慧、そして着想力が生み出す世界は、あらゆる場面で『加上』の精神の上に成り立っていると言っても過言ではない。それも、確かな意志を持った上のことである。
今から4年前、想定外という言葉では済まされない、原子力発電所の事故が起きた。科学技術至上主義への過信・妄信が、自然界からの怒りの琴線に触れてしまったのだ。それは、驕り高ぶった人間に対して、これまでとは異なった態度の変更を求めているのかも知れない。
これから述べる中で、基礎科学、応用科学、そして技術革新、産業革命などが、我われの文明のベースになっていることを前提に、いかにして前説・前技術を『加上』し、新たな説や新技術が生まれたのかを明らかにするものであり、これからの世界に対して、『加上』がもたらす成果が人間にとって恩恵にプラスするのか、それともマイナスになるのか、しっかりと見極めることが大事になる。
その意味では、自然界と対峙した時の『加上』は、どんなに優秀な科学技術力を持ってしても立ち向かえないという、それこそ、46億年の秘められた底力を忘れてはいけない。
科学技術の発展による自然界への負荷は、エネルギー開発の大元に化石燃料を使用したことによる反動が大きく、その典型が温室効果ガスで、いわゆる二酸化炭素の排出が全世界的に環境問題としてクローズアップされている。
この問題については後述することにして、ここで、「上を出る」、「上に加える」、『加上』という言葉を使ったが、では、『加上』とは一体何なのか、その概念を説明してみよう。
加上とは何か?
明治2、30年代の仏教界を湧かせた問題に大乗非仏説論があった。これは、大乗仏教の諸経典は釈迦金口の直説ではなく、釈迦の滅後、はるか後になって歴史的に発展して来た思想であるとの説で、当時の仏教界を揺るがしたが、これは、日本人学者の発想からなるものではなく、明治時代、多くの新しい学問が海外から輸入されたのと機を同じにして、ヨーロッパの近代的な仏教史研究が導入されたことによって、大きく採り上げられ登場したものだった。
ところが、これを遡ること150年前、独自の視点をもって、この大乗非仏説論を唱えていた市井の学者いた。その人こそが富永仲基だった。
江戸時代の中期、八代将軍吉宗の時代、西暦で言えば1700年代の前半のことである。大阪の懐徳堂で儒学の勉学に励んでいた富永仲基が、仏教経典の変遷に実証的批判的な考証を加え、大乗非仏説論を唱えた。ここでは、彼の背景には触れないが、大阪町人の好学心旺盛な気風が、醸成されたことは間違いない。
仲基の残した著述に、大乗非仏説論の根拠となる、仏教研究の独自性―仏教教理の歴史的発達を見ることが出来る。彼は、『出定後語』と『翁の文』の二書を著していて、前者の『出定後語』が大乗非仏説論を展開した仏教史論である。
彼は仏教の前に儒教についても批判している。それを観てみると、孔子の道が分かれて八つとなったというのは、要は、歴史的展開の過程の中で、それぞれが先行する学説の上を出ようとした結果に他ならない。世子が(性に善あり悪あり)と説くのに対して、その上を出たものが、告子の(性に善なく不善なし)という説であった。この告子の上を出て新説を展開したのが孟子の性善説であり、さらに孟子の上を出たのが荀子の性悪説(人の性は悪なり、その善なるものは偽(ぎ)なり)であった。さかのぼって孔子自身の道にしても、その時分にもっぱら五伯の道を崇んだのに対してその上を出たものであり、その孔子はまた、次の墨子によって上に出られることになった。
つまり、このことから儒教には歴史的文脈があったことを物語っている。
仲基は、同じような視点を仏教にも持ち込んだ。彼は、その当時の古文献を考証し、思想の時間的な歩みを実証し、思想の歴史をつらぬく発達変遷の法則のことを、『加上』という言葉で呼んだ。
『加上』とは、「上に加える」という意味なのだが、仲基は「上を出る」と呼んでいた。先の孔子の例に観るように、儒教の歴史の文脈からも理解できるが、「上に加える」、「上を出る」のは儒教だけでなく、仲基は、あらゆる思想の発達変遷は、すべてこの『加上』の過程であると言っている。
おほよそ古より道をとき法をはじむるもの、必ずそのかこつけて祖とする
ところありて、我より先にたてたる者の上を出んとするが、その定まりたる
ならはしにて、後の人は皆これをしらずして迷ふことをなせり。
ある一つの思想なり学説が主張提起される場合、それは必ず先行する既存の思想や学説を前提としている。つまり、その上を出て前説を乗り越え、いまだ存しなかった要素をその上に加えて新説を展開する。新説の成立は、前説の特異な粋とすべき点を取り出す「揀異」や、その劣った点を反駁し拒ける「貶異」などによって、前説に『加上』してみずから張るところに生起する。
しかもその新説はまた、後続するさらに新しい立場から受けとめられ『加上』される結果、「一層層『加上』する者の説」が展開して来ることになる。こうして果てしなく『加上』が継起してやまないところに、思想学説の発達があり、歴史的な歩みがある。
仲基のこのような考え方からすれば、特定の一つの思想にのみ超越的絶対的な権威を認めようとして、甲論乙駁を繰り返すのは愚であり迷である。むしろ問題は、『加上』の原則を手懸りに、諸説の新旧を分別整理して歴史的発展のあとをたどることだ。
『出定後語』は、仏教における異部の諸説に、教の優劣ではなく歴史的な新旧の順序を実証しようとした。今日的に言えば、意味論、歴史学、文化人類学など、人間科学の諸方法を先取りしていたと言っても過言ではない。
これから具体的に観ていくと、釈迦一代の説教は、自筆の経典で伝えられたわけではない。諸弟子に口授され、釈迦入滅後に、これらの仏説が迦葉や阿難などの弟子たちによって経典結集され、やがて経・律・論の三蔵が成立した。
大乗経典の多くは、仏滅後500年になると作製された。その成立史は、まず、小乗二十部の「有」の立場に対して、その上をでて「空」を説くものが現れた。「大乗文殊の徒、般若を作って、空を以って宗と為す」。すなわち『般若経』の成立である。ここで有と空の対立が起った。
これに『加上』して「不空実相を以って宗と為す」者が出た。『法華経』の「諸法実相」がこれである。『解深密教』も同じ傾向に属する。つまり、有でもなく空でもなく実相だというふうに、前説の上を出たわけである。そして、これを釈迦一代の教説にあてはめて説明した。
次に、法華の上を出たのが『華厳経』で、その中には諸法実相と般若波羅密の二語が出てくるので、『法華経』、『般若経』よりも後だと言うことを証明している。そして次に上を出たのが、『大集経』、『涅槃経』、その次に『楞伽経』がその上を出た。
仲基は、このようにしてインド古代の「外道」の時代から説き起こして、大乗諸経典の成立を「上を出る」「上に加える」という、『加上』の法則を以って説明し、大乗非仏説論を展開した。
この論理的な試みは、本居宣長をはじめ、江戸期の国文学者に支持されただけでなく、開けて明治の時代、大いに脚光を浴びるようになった。
「上を出る」「上に加える」という『加上』は、ひとり仏教史の中だけに見られるものではなく、我われを取り巻くあらゆるものに散見できる。例えば科学技術の場や教育、産業、ビジネス、環境、防災などあらゆる分野でその方法論が使われ、我われの発想を豊かにするのに、いかに重要な役割を果たすのかを検証してみることにする。
エレクトロニクス技術における加上
まずは日本が最も得意とするエレクトロニクスから見てみよう。我われが慣れ親しんでいるテレビやコンピュータの心臓部である電子回路は、そもそもは真空管式が原点である。
そこで、その大元の真空管から考えてみる。
エジソンが白熱電球の開発中に熱電子放出現象を発見したことを受けて、フレミングが整流・検波の機能を有しているプレートとカソードの二極真空管を発明した。そのプレートとカソードの間にグリッド一本入れて、二極真空管を『加上』したのが三極真空管を作り上げたド・フォレストで、新しく増幅の機能を持つようになる。
さらに機能を上げるためにグリッドの数をもう一本増やして、二本にした四極真空管はイギリス人のランドによって作られた。それによって機能的には高周波でも応答性がよくなった。そして、ドイツ人のヨブストは、真空管内の二次電子を抑制するために五極真空管へと『加上』した。
それらを使い信号増幅、変調・復調、発振など能動的動作をする電子回路が開発され、その結果として様々な電子機器が放送・通信用、軍事用、産業用、民生用のラジオやテレビなどに使われることになった。
これによってエレクトロニクス産業が一気に開花することになった。
次いで、材料革命をベースに省電力、小型化を目指して、真空管を『加上』することでダイオードが現われた。その後も『加上』は続き、米国のベル研究所のショックレー、バーディーン、ブラッテンの三人がダイオードを『加上』してトランジスタを発明する。このトランジスタが真空管に代わり電子機器の小型化、高性能化を進め、今日に至る家電産業の発展に繋がっている。日本ではソニーの前身、東京通信工業がトランジスタラジオを開発。それ以来、家庭電化製品にもトランジスタが使われるようになった。
そして次に繋がるのが集積回路である。トランジスタを『加上』して、一つのチップ上に複数のトランジスタや抵抗、コンデンサーを一体化したICが登場する。これで、多くの電気機器は一層小型化され、故障も減り信頼性も向上し、製造効率は大幅に上がる。その一方で、コストは下がることになり本格的なエレクトロニクス時代が始まる要因になった。
さらにチップの微細化と高集積化を実現したLSIに『加上』。その上に、VLSI、ULSIへと『加上』が継起され、高機能化、高付加価値化、小型・軽量化、低消費電力化を通して、大型コンピュータ、PC、電卓、通信機器、家電製品、携帯電話、TVゲームなど、あらゆる分野の電子機器に使われている。そしてこの後も、基盤技術へと『加上』が続いて行く。
家電産業の代表格であるテレビ受像機の世界を見ると、1897年、ドイツの発明家ブラウンによってブラウン管が発明され、1925年にはイギリスのベアードがニポー円盤による機械方式のテレビ実験に成功した。わが日本でも高柳健次郎が電子式装置によるテレビの開発に取り組んでおり、一九二六年世界で初めてブラウン管による「イ」の字の電送・受像に成功している。
わが国のテレビ時代の幕開けは、1953年にNHKと日本テレビが本放送を開始した時から始まり、 モノクロテレビ受像機の第一号は早川電機工業―現シャープが発売した。これより後、日本人が得意とするエレクトロニクス技術を活かして、ブラウン管方式のモノクロテレビは、日本経済の成長とともに爆発的に売れ、電気洗濯機、電気冷蔵庫とならぶ「三種の神器」として浸透した。
次に、モノクロテレビを『加上』して登場したのがカラーテレビである。1960年に満を持してデビューし、一九六四年の東京オリンピックを契機に量産化が進み、価格が下がると普及のスピードを一気にあげた。
因みに、カラーテレビ受像機は東芝が.第一号を発売した。
そして、「三種の神器」に代わる、カラーテレビ、クーラー、カーの「三C時代」が到来する。まずは大型商品のカラーテレビが市場を拡大していった。その後、生活の快適性の向上を実現するためにクーラーが徐々に普及。さらに、洗濯機は手絞り型から自動脱水機付きの二槽式に、冷蔵庫は冷凍庫付きの二ドア型に製品開発が『加上』していった。このような大型商品の登場と、買替需要を促進する新製品の開発によって、家電産業は新たな成長段階を迎えることになった。
そのカラーテレビは、1973年に液晶ディスプレイが表示装置として、電卓に実用されてから始まった、液晶技術の先進性が『加上』され、テレビにも液晶が登場し、薄型、大型化、高精細化へと進み、ブラウン型テレビは完全に駆逐されることになった。そして、さらに高精細化を進めることで、これからの4Kテレビ(画素数がフルハイヴィジョンの四倍)、8Kテレビ(画素数はフルハイヴィジョンの十六倍)へと『加上』、マーケットの創造が期待されている。
液晶を搭載した製品は、携帯電話、デジタルカメラ、ノートパソコン、液晶モニター、ゲーム機など、電卓に使われてから30年もしないうちに、多くの製品に使われている。
モバイルの世界も同様で、ハード的には、携帯電話、スマートフォン、タブレット型の機器がPC、カメラ、テレビと融合、『加上』することで機能性を上げている。そして、それ以上に、マーケットを拡大しているのがソフトコンテンツで、ゲームなど分野の画像技術の『加上』が新しいエンターテイメントの世界を創出している。
一方で、コンピュータの世界は、第一世代は真空管、第二世代はトランジスタ、第三世代はIC、第四世代はLSI、第五世代はVLSIと、電子回路の集積度に応じて、ものの見事に『加上』されている。処理速度で言えば、ミリ秒からマイクロ秒、ナノ秒、ピコ秒へと『加上』し、記憶容量もキロ、メガ、ギガ、テラと拡張し、使える文字も英文字・数字からカタカナ、漢字・イメージ、動画・音声までに拡がり、使いやすさの『加上』が実現されている。
もちろん、『加上』されたものがそのまま残って行くわけではない。典型的なものとしてVTRがある。一時期、記憶メディアとして、ベーターマックス陣営とVHS陣営との激しい技術競争、市場導入競争があったが、デジタル時代を迎えると、それらを『加上』して、CD、DVD、HDD、ハンディなフラッシュメモリー、USBなどの新たな記憶メディアの定着で、やがて消えて行くことになった。その他にも、液晶テレビと薄型テレビの座を争ったプラズマテレビも市場性を失い、姿を消している。
だが市場性がある限り、アナログ技術製品でものこるものがあって、昔懐かしいレコードがマニアの間で静かなブームになっていて、復活とは大きな声ではいえないが、しぶとく残っている。技術的『加上』とは領域の違う、精神的な『加上』の世界がある。
そうはいっても、エレクトロニクス技術は、まさに『加上』の世界そのもので、その技術の応用範囲は、家電業界のみならず、人間社会のあらゆる場面でキー技術となる存在である。それだけに技術の進展は速く、世界的規模での開発競争は激化している。
集積回路などのディバイス技術では、一層層の集積システムの『加上』のために、シリコン、バイオ融合、分子・有機などの研究が望まれるし、一方で、実際の応用面での『加上』は、ストレージ、ディスプレイ、デジタル家電、ユビキタス、ロボット、自動車、ネットワーク、セキュリティなどの分野で期待されている。
現実の場面で、例えば、ロボット分野ですでに活躍しているお掃除ロボットが加上され、洗濯とか家庭内の省力化をお手伝いする方向性と、医療産業の世界に導入された手術ロボットダヴィンチの拡張性は、通信によるネットワークを通して、遠隔操作による手術がますます浸透していくなど、医療の平準化の世界が実現している。
このようなロボット利用は、これからの高齢化社会の介護の場を想定しても、有望な市場であることは間違いない。介護を考える上で、介護する側の負担の大きさ、人手不足の問題だけでなく、介護ロボットの利用は大きな効果を生む可能性を持っている。
セキュリティ分野では、多くのエリアでの個人認証のシステムや、自然を相手にした災害の予測・減災。テロや犯罪に対するシステムの開発。安全・安心・快適に暮らせるための、社会インフラとしての整備が必要とされ、すべてのエリアで言われることだが、政府、民間企業、大学・研究所の参画が、有機的に運用される必要がある。
いずれにしても、エレクトロニクスは、将来の技術社会を支える根幹技術であるだけに、この分野での技術革新(基礎技術、製品化技術)の『加上』がなければ、世界に生き残っていけない状況になっていることは間違いない。