健康な時も、病があるときも、身体からのサインを知っておきましょう
いい仕事をするには、まずは自分の能力を発揮できる状況に置かなければなりません。いわゆる体調管理です。そのためには常日頃から、自分のバイタルサインを知っておくことが大事です。例えば、血圧、脈拍、呼吸体温など、眼や耳で確認できることから、睡眠、食事、排便などのリズムを知っておくことが大事です。
それとは一転視点を変えて、仮に自分ががんに侵されていても、あるいは他に別の病気を持っていたとしても、そのことを自分の身体からのサインと、しっかりと認識した上での健康力の存在もあるのです。
そもそも健康力って、何?
健康であることに目的があるとしたら、あなたは何を思い浮かべますか。そう、いきなり言われると返答に窮するかもしれませんね。人それぞれの価値観があるので何とも言えませんが、でも端的に言って「人生を充実させるため」にとは考えられませんか。それぞれの分野で悔いない人生を送るためには、おかれた環境は違っても、目的はちがっても、自分が出来る限りの力をぶつけることではないでしょうか。
それには、そのことにチャレンジできる健康状態がなければなりません。そう考えると、健康力って何かというと、仕事であれ、学問であれ、子育てであれ、そして何であれ、「人生を充実させるため」の力ということになりませんか。またそれとは別に、人生を仕事に置き換えれば、健康力とは「仕事を充実させるため」の力と言ってもいいのではありませんか。
40代、50代ともなると、身体に変調をきたし、がんや脳卒中、心臓病などの病気に罹る人が多くなりますが、そういう病気を持っていても仕事はできるし、立派な成果を上げることができます。
となると、健康力は病気であるかどうかではなく、例え病気であっても、「仕事を充実させるため」あるいは、「人生を充実させるため」を前提にするのであれば、その人は健康力を持っていることになります。
会社で、商店で、農家で、あらゆるところで病気を持って、「仕事を充実させるため」に働く人にも健康力はあるのです。つまり、健康力は病気ではない人が持っているのは当然ですが、実は、病気の人にだって健康力はあるのです。
健康力には年齢相応のパフォーマンスがあります
これをお読みになっている方も、もしかして体力=健康と考えているのではないですか?確かに、この二つは密接な関係にあります。健康を害すれば体力は落ちますし、反対に体力が増強されれば健康が増進することも確かなことです。しかしながら、体力のあるなしで健康の優劣を論じることはできません。
20代の若者と、40代、50代の壮年世代とは、体力差があまりに大きすぎます。だからと言って、40代、50代の人は健康ではないのかというと、決してそんなことはないのです。ということは、健康度を測るのには、必ずしも体力を持ち込むことは賢明ではないことになります。
年齢を重ねれば、衰えは足だけでなく、心臓をはじめとする内臓、そして筋肉にもきます。だからと言って、体力の衰えが健康を損ねることもないし、例え体力が衰えても、年齢相応の健康があるのです。
さらに言えば、体力は数値化できますが、健康は血液検査をはじめとする身体検査での数値化以外に、「充実した仕事を成し遂げる力」であることを考えると、体力は量の世界で、健康は質・哲学の世界といえるのではないでしょうか。
壮年期の健康力のポイントは技
私たちの身体は25歳を過ぎる頃から老化が始まります。まさしく身体の衰えを意味していますが、一方でこれは、必ずしも精神の衰えや健康力の衰えを言っているわけではありません。
お分かりですよね。つまり、私たちの普段考えている健康は、先に記した身体のサインを中心にした見方をしているということです。昔から人生の価値を示す言葉に(心・技・体)というものがありますが、ここでいう"体"は身体的、肉体的な青年期の時期のことを語っています。
そして、40代、50代の壮年期になりますと、そこでの価値は、身体的、肉体的なものではなく、(心・技・体)のうちの"技"に重点が置かれているように考えられます。
つまり、40代、50代の壮年期の健康力をアップする対象は、"技"ということになります。実際に、技術者や職人さん、医者でも油の乗っている時期は50歳前後ですし、実業家や画家などの芸術家も壮年世代に実力が発揮されています。人間の味も壮年期を過ぎて熟年期に入ると、技の衰えが心の豊かさに移り、一層味わい深くなるものです。健康力は質的な変化をしながらも、確実にアップしています。
よくスポーツ選手が心・技・体がないから勝てないと言われることがありますが、熟年になれば、(体)はなくなるし、(技)も切れ味がなくなります。現にゴルフでいえば、青木功選手も、中島常幸選手も、体、技は年齢相応の衰えを見せていますが、しかしながら心は年齢を重ねただけあって、余裕と慈悲に満ちて、ゴルフの解説やボランティア活動などに存在感を見せています。
これが、その年代の健康力というものではないでしょうか。
健康力と健全な肉体、不健全な肉体
「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」という、古代ローマ人のユベナーリスの言葉がありますが、本来の意味は健全なる肉体に宿る、ということで、精神と肉体の両者が健全であることを願った言葉だったのが、いつのことかは定かではありませんが誤訳されて、世界中に広まってしまいました。
ここで、健全なる精神を健康力に置き換えてみますと、「健康力は健全なる肉体に宿る」となって、日本語的な意味からすると、不健全な肉体には健康力は宿らないことになります。しかしながら、本当にそうなのでしょうか。
先に記したように、健康力は「仕事を充実させるため」「人生を充実させるため」にあるとしました。それからすると、不健全な肉体の人は、健康力をもちあわせていない、つまり、「仕事を充実させるため」「人生を充実させるため」のようなことはできないということになってしまいます。
ですが、そんなことはないのです。不健全な肉体であっても健康力はあるのです。ハンディキャップがあっても、立派な仕事、生きがい、ボランティアなどに活躍している人はいくらでもいます。
健康であることは大事ですが、次のステップに進むエンジンとなる健康力がなければ意味がありません。
健康力アップは目的ではなく手段
健康力のこと、ご理解いただけましたしょうか。
単に健康であるだけでは医療費の削減(これも大事なこと)に貢献しているかもしれませんが、それでは折角の健康を活かし切っていません。次のステップに進む健康力があってこそ、あなたの今を生きる態度が変わり、向上心が生まれ、人生をより一層充実なものにするに違いありません。
そういう意味からすると、健康力は、目的である「仕事を充実させるため」「人生を充実させるため」の手段ということになります。その手段を一層、深化・進化・真価させることが、健康力アップにつながり、目的を手に入れる道を歩むことになります。
さあ、そこで健康力のアップです
「仕事を充実させるため」「人生を充実させるため」を達成するための手段として、健康力が存在することはお分かりいただけたとして、それをアップさせるには、深化・進化・真価が重要だと申し上げました。
深化は、今置かれている環境を認識し、出来る部分の専門性を上げることです。そして進化は、今までの成果に甘んじることなく、その上を目指すものあり、真価は、その結果を余すことのない価値として、自分高めるものになるし、他人や社会に貢献するものにもなります。
健康力は、健康な人にだけあるものではありません。病気の人も、ハンディキャップを持った人にも、同じように健康力はあります。
勇気をもって一歩前に踏み出せば、「仕事を充実させるため」「人生を充実させるため」の健康力を手にすることが出来ることを確信しましょう。
毎朝実践したい健康力をアップさせる習慣
毎朝起きたら、どんな小さなことでもいいですから、昨日の朝。一昨日の朝。一週間前の朝。一カ月前の朝。半年前の朝。一年前の朝。
どれだけ変化しているかを感じてみましょう。そうすれば、充実度が分かるはずです。